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【感動する話】七つの海に生きる坂本龍馬の夢~日本最大の海運会社、日本郵船のルーツとは?~

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先日、NHKの歴史番組「歴史秘話ヒストリア」 の「三菱をつくった男 岩崎彌太郎 海の明治維新」というタイトルを見ました。

岩崎弥太郎といえば、誰もが知る最強財閥グループ、「三菱」の創始者。明治維新、たった一代で巨大企業を作り上げた男です。

その物語に感銘を受けたので、少し書いてみようと思います。

海にあこがれた竜馬、海運業に目覚めた弥太郎

岩崎弥太郎は明治初期、時代に海運業で身を興そうとし、土佐において九十九商会(後の三菱商会)を設立しました。

この陰には、海援隊を率いて幕末に活躍した英雄、坂本龍馬の影響があるとされています。海援隊といえば、幕末、船を率いて海運に活躍し、薩長関係にも大きな影響を与えた貿易結社。

海援隊は、日本最初のカンパニー(株式会社)とも言われています。

 

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生前、弥太郎と竜馬は親交があり、大いに影響を受けたといわれています。互いに刺激を受け合う、そんな2人の関係でしたが、運命とは残酷なもの。

残念ながら竜馬は近江屋事件で暗殺されてしまい、志半ばで倒れてしまいます。

 

司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」では、竜馬は生前、こんな考えを持っていたといいます。

 

「明治維新が成っても、政府の官職や地位はいらない。ただ自分の船団を率いて、世界の海に乗り出したい」

もともと船が大好きで、海にあこがれて船の操練も積んでいたという坂本龍馬。その夢は、政府の要職に就く事ではありませんでした。

船で海に乗り出し、その向こうにある世界を見てみたい。七つの海を駆け巡る、大きな海運会社を作り上げたい。

竜馬が維新後に抱いていた憧れとは、そんな少年のような夢だったように思えます。

しかし、龍馬はそんな維新後の世界を見ることなく、凶刃に倒れてしまったのです。

竜馬の求心力を失った海援隊は、やがて解散してしまいますが、龍馬の描いた夢は完全に消えていませんでした。

龍馬の盟友、岩崎弥太郎がその思想に影響を受け、紆余曲折ののちに「三菱商会」が生まれたのです。

 

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数々のライバル出現も、巧みな手腕で急成長

そんな岩崎弥太郎率いる三菱は、当時欧米資本が独占していた国内外の航路を取り戻すべく、欧米の海運会社との戦いを開始します。

1875年、日本と上海を結ぶ定期航路を開き、激しい値下げ競争の末にアメリカの巨大海運会社に勝利。撤退させることに成功します。

さらにイギリスの海運会社も東洋の海を支配しようと、日本への参入を試みますが、それも三菱が勝利。弥太郎率いる三菱は、ついに日本を代表する巨大海運企業として支配的な地位を占めるようになります。

 

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しかし、新たなライバルが

しかし、三菱が独占的な地位を占めるようになると、日本国内から三菱バッシングの声が噴出し始めます。

国内外の海運を独占し、膨大な利益を上げるようになった三菱の飛躍的成長は、敵を作ってもおかしくはありません。

「三菱の発展こそ、国の発展」と考え、国内外の航路を取り戻すなど、発展に尽力してきた弥太郎。そんな弥太郎にとって、世間の三菱批判の声は、心外だったに違いありません。

しかし政府は国策会社として「共同運輸」という巨大海運会社を設立させます。この共同運輸の出現により、三菱は再び激しい値下げ競争にさらされます。

値下げ競争で赤字が続き、三菱はどんどん疲弊していきます。長年の心労がこたえたのか、弥太郎もついに52歳の若さで病死してしまいます。

窮地に立たされた三菱。

弥太郎の死後、弟の弥之助が弥太郎の遺志を継ぎます。

同じく共同運輸も、三菱との値下げ競争では疲弊しきっていました。秘密裏の会談の末、三菱と共同運輸は合併することになりました。

そして生まれたのが、世界最大級の海運会社「日本郵船」です。

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日本郵船の現在

日本郵船といえば、三菱財閥の源流にして、現在も日本国内トップの巨大海運会社。国内外の海運輸送やクルーズ事業など、様々な事業を手掛けており、就職ランキングでもトップクラスに位置する超名門です。

あの豪華客船「飛鳥Ⅱ」も日本郵船(郵船クルーズ)が運航しています。

 

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あの有名な、「氷川丸」だって、日本郵船が運航していました。

 

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いつかの #氷川丸 #博物館船 #貨客船 #船 #日本郵船 #重要文化財 #山下公園 #横浜港 #港湾 #港 #portofyokohama #port_of_yokohama #yokohama

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煙突に描かれた、白地に引かれた二本の赤いラインは、日本郵船のシンボル。この「二引の旗章」のデザインは、三菱と共同運輸の2社が日本郵船の航路が地球を横断するという決意を象徴しています。

でも、このデザイン、歴史が好きな人はどこかで見たことがあるかもしれません。

そう、あの龍馬が率いた「海援隊」の隊旗です。

「海援隊 旗」の画像検索結果

出典 Wikipedia

 

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#長崎 #坂本龍馬 #海援隊旗 #風頭公園

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共同運輸と三菱が合併してできた日本郵船。その旗のルーツは、この海援隊の旗にアイデアをとったともいわれています。

 

海と船を愛した龍馬が率いた「海援隊」。龍馬は若くして斃れ、海援隊も解散してしまいました。

しかし世界の海を駆け巡り、船を率いて交易をしたいという龍馬の夢は、海援隊の旗の意匠を引き継ぎ、今も日本郵船のシンボルである「二引の旗章」のデザインの中に生きています。

そしてその赤と白の煙突を掲げた日本郵船会社の船団は、海洋国家日本を、そして世界を代表する海運会社の船として、今も世界の七つの海を駆け巡っています。

 

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Sasuraino San Franciscanさん(@sasurainosanfranciscan)がシェアした投稿 -

ふと、港でこの煙突を掲げた船を見かけたとき、弥太郎が、龍馬が、遠く明治に描いた壮大な夢に、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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