オーナー記事

【名文家】「天気晴朗ナレドモ波高シ」を生んだ明治の天才、秋山真之の文章力に学ぶ「書く力」

投稿日:

秋山真之とは

「秋山真之」の画像検索結果

司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」でも主人公の一人として取り上げられた、海軍軍人の秋山真之(あきやま・さねゆき)。

1868年、伊予松山(現在の愛媛県)に生まれた彼は、日本海軍草創期の軍人・作戦家として活躍した人物です。最近、NHKで放映されたドラマ「坂の上の雲」で知っているという方も多いでしょう。

特に伝説的な功績として有名なのは、日露戦争の際、万里の波濤を駆けてウラジオストクへ回航してきたロシアのバルチック艦隊を迎撃する作戦を考案し、それを完全に撃滅させたこと。

小さな島国が大国ロシアの艦隊を破ったという知らせは、世界を驚嘆させ、世界史上類を見ない奇跡の大勝利として報じられました。

司令長官の東郷平八郎は戦後、神格化され、今でも都心の杜には東郷神社が祀られていますよね。

けれどもその陰には、「智謀湧くがごとし」と謳われた秋山真之が打ち立てた作戦があったのです。

しかし彼は、作戦家として明晰な頭脳を発揮するだけでなく、「明治日本の文章界を作った人物の1人」と言われるほど、天才的な名文家としても有名なのです。

それもそのはず。彼は裕福でない家庭に育ちながらも、共立学校(現在の開成)から東京大学予備門(東大教養学部)に進学した超エリート。あの有名な俳人、正岡子規とも親交があり、文学者になることを共に志していたといいます。

経済的苦境などから海軍へ転身し、文学者の道を諦めた真之ですが、当時から成績は抜群で、圧倒的な文学的センスを持ち合わせていたようです。

スポンサーリンク

伝説的な名文とは

そんな彼が残した、日本史に燦然と輝く名文があります。

それが、「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」という一文。

日露戦争の勝敗を決定づけた「日本海海戦」は、当時の日本にとって運命を分ける戦いでした。1隻でも取り逃がせば、日本の通商路がロシア艦に破壊され、満州の野で奮闘していた陸軍は補給路を断たれてしまいます。それは日露戦争の敗戦、さらには日本の滅亡を意味していました。

バルチック艦隊がどのコースを通ってくるかはわかりません。日本海、対馬海峡を通ってウラジオストクへ行くか。それとも太平洋側へ回って行くか。判断を誤れば国が滅びるという状況で、日本国民は皆、不安の中にいました。

 

ロシアから大洋を超えてやってくるロシアの大艦隊がついに対馬海峡に現れたとき、哨戒任務にあった「信濃丸」から「敵の艦隊見ユ」という一報がもたらされます。時に西暦1905年、5月27日の事でした。

「日本海海戦」の画像検索結果

旗艦「三笠」艦上に集う司令官たち。中央が東郷

その時、彼は本国に電文で報告を送信します。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス」

つまり、「敵の艦隊が発見されたので、出動し戦闘を行う」という意味の事務報告です。

しかし、彼はそれを送る前に一考し、ある一文を付け加えます。それが、「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」という文です。

真之が何を考えてこの一文を付け加えたかは分かりませんが、「天気晴朗」というのは「視界良好で、取り逃がしは少ない」ということ、「波高シ」というのは、「射撃訓練を積んだ日本に有利な事」を意味するとされています。

七五調の美しい一文に、戦局を決定づけた重要な情報を詰め込んだという点で、この一文は報告文の鑑として後世に語り継がれています。

けれどもそれだけでなく、この文には単なる天候描写に留まらない、壮大な叙事詩的な響きを含んでいます。

日本という生まれたての国家が直面した、運命を分ける試練。

その試練を運んでくるロシア艦隊は、真之らがしびれを切らして待ち構えていた対馬を通って、ついにやってきたのです。それは真之の中で、心の中の一つの霧が晴れた瞬間でした。

そして勝負はそれだけではありません。日本国の運命を賭けた戦いは、これから始まろうとしているのです。目の前に待ち受けているのは、まさに試練の荒波でした。

その心情を、「天気晴朗ナレドモ波高シ」という客観的な天候の報告を通して、「詩的な感慨をもって」描いたからこそ、この文章は名文として伝説になったのかもしれません。

「日本海海戦」の画像検索結果

Z旗の意味

さらに、真之の文学的光彩は、日本海海戦の直前にいっそう輝きを増します。

いざ、ロシア艦隊の黒煙が水平線に現れはじめたとき、旗艦「三笠」の艦上にある旗が掲揚され、マストに燦然と翻ります。

それが有名な「Z旗」。

「z 旗」の画像検索結果

この旗は、アルファベットの数だけある船の「信号旗」で、本来は「引き船がほしい」といった意味を持つ信号にすぎませんでした。

しかし真之らは、「後がない」という日本の状況を、アルファベットの最後の文字である「Z」旗にかけ、こんな言葉とともに艦上に掲揚したのです。

皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」(日本の興廃はこの戦いにかかっている。全員が勝利のためにいっそう励み、努力せよ)

この信号を耳にした将兵たちは、みなありえないほどの闘志を燃やし、海戦に臨んだといいます。

今でも、ここぞの勝負事になると「Z旗を掲げる」と言われることがありますが、それはこの故事から来ているのです。

実はこの言葉を考案したのも、秋山真之であるといわれています。

わずか1文で、水兵たちを奮起させた真之の言葉。その力は、計り知れないとしか言いようがありません。

 

スポンサーリンク

アメリカ大統領も感嘆

さて、秋山真之の活躍もあり、日本海海戦は日本側の完全な勝利に終わります。

そして、戦時下に編成された海軍の連合艦隊は、解散の時を迎えることになりました。

そこで司令長官の東郷平八郎は、解散にあたって将兵に訓示を与えます。それが、明治期の名文として名を馳せる「連合艦隊解散之辞」という文章。

実際に訓示を行ったのは東郷ですが、文章を考案したのは秋山真之です。

 

二十閲月(えつげつ)の征戦已(すで)に往時と過ぎ、連合艦隊は今や其の隊務を結了(けつりょう)して茲(ここ)に解散する事となれり。
然れども我等海軍軍人に責務は決して之が為に軽減せるものにあらず、此戦役の収果を永遠に全くし、尚ほ益々国運の隆昌(りゅうしょう)を扶持(ふうじ)せんには時の平戦を問はず、先づ外衝(がいしょう)に立つべき海軍が常に其武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。

而(しこう)して、武力なるものは艦船兵器のみにあらずして、之を活用する無形の実力にあり。百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚(さと)らば我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず。近く我海軍の勝利を得たる所以(ゆえん)も至尊霊徳に由る処多しと雖(いえど)も抑(そもそも)亦(また)平素の練磨其因を成し、果を戦役に結びたるものして若し既往を以って将来を推すときは征戦息(や)むと雖(いえど)も安んじて休憩す可らざきものあるを覚ゆ。惟(おも)ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして時の平戦に依り其責務に軽重あるの理(ことわり)無し。

事有らば武力を発揮し、事無かれば之を修養し、終始一貫其本分を尽さんのみ。過去一年有余半彼(か)の波濤(はとう)と戦い、寒暑に抗し、屡(しばしば)頑敵(がんてき)と対して生死の間に出入(しゅつにゅう)せし事、固(もと)より容易の業(わざ)ならざりし、観ずれば是亦(これまた)長期の一大演習にして之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比するに物無く豈(あに)之を征戦の労苦とするに足らんや。

苟(いや)しくも武人にして治平に偸安(ゆうあん)せんか兵備の外観巍然(ぎぜん)たるも宛も沙上(さじょう)の楼閣の如く暴風一過忽ち崩倒するに至らん。洵(まこと)に戒むべきなり。

昔者(むかし)神功皇后三韓を征服し給ひし以来、韓国は四百余年間我統理の下にありしも一度(ひとたび)海軍の廃頽(はいたい)するや忽ち之を失ひ又近世に入り徳川幕府治平に狃(な)れて兵備を懈(おこた)れば挙国米船数隻の応対に苦しみ露艦亦(また)千島樺太を覬するも之に抗争する能(あた)はざるに至れり。翻って之を西史に見るに十九世紀の初めに当たり、ナイル及びトラファルガー等に勝ちたる英国海軍は祖国を泰山の安きに置きたるのみならず爾来後進相襲(あいつい)で能(よ)く其武力を保有し世運の進歩に後れざりしかば今に至る迄永く其(その)国利(こくり)を擁護し、国権を伸張するを得たり。

蓋(けだ)し此の如き古今東西の殷鑑(いんかん)は為政の然らしむるものありしと雖も主として武人が治に居いて乱を忘れざると否とに基づける自然の結果たらざるは無し。我等戦後の軍人は深く此等(これら)の事例に鑑(かんが)み既有の練磨に加ふるに戦役の実験を以ってし、更に将来の進歩を図りて時勢の発展に遅れざるを期せざるべからず。若し夫(そ)れ常に聖諭(せいゆ)を奉戴(ほうたい)して孜孜奮励し、実力の満を持して放つべき時節を待たば庶幾(こいねがわ)くは以って永遠に護国の大任を全うする事を得ん。神明は唯(ただ)平素の鍛練に力(つと)め、戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に一勝に満足して治平に安(やすん)ずる者より直(ただち)に之を奪ふ。

古人曰く勝て兜の緒を締めよと

明治三十八年十二月二十一日 連合艦隊司令長官 東郷 平八郎

現代語訳

二十ヶ月にわたった戦いも、すでに過去のこととなり、我が連合艦隊は今その任務を果たしてここに解散することになった。しかし艦隊は解散しても、そのために我が海軍軍人の務めや責任が軽減するということは決してない。

この戦争で収めた成果を永遠に生かし、さらに一層国運をさかんにするには平時戦時の別なく、まずもって、外の守りに対し重要な役目を持つ海軍が、常に万全の海上戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる構えが必要である。

戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。

この度、我が海軍が勝利を得たのは、もちろん天皇陛下の霊徳によるとはいえ、一面また将兵の平素の練磨によるものであって、それがあのような戦果をもたらしたのである。もし過去の事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終わったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。

考えるに、武人の一生は戦いの連続であって、その責任は平時であれ戦時であれ、その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。ことが起これば戦力を発揮するし、事がないときは戦力の涵養につとめ、ひたすらにその本分を尽くすことにある。過去一年半、あの風波と戦い、寒暑に耐え、たびたび強敵と相対して生死の間をさまよったことなどは、容易な業ではなかったけれども、考えてみると、これもまた長期の一大演習であって、これに参加し多くの知識を啓発することができたのは、武人としてこの上もない幸せであったというべきであり、どうして戦争で苦労したなどといえようか。

もし武人が太平に安心して目の前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえばたちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきである。

むかし神功皇后が三韓を征服されて後、韓国は四百余年間我が国の支配下にあったけれども、ひとたび海軍が衰えるとたちまちこれを失い、また近世に至っては、徳川幕府が太平になり、兵備をおこたると、数隻の米艦の扱いにも国中が苦しみ、またロシアの軍艦が千島樺太をねらってもこれに立ち向かうことができなかった。目を転じて西洋史をみると、十九世紀の初期、ナイル及びトラファルガー等に勝った英国海軍は、祖国をゆるぎない安泰なものとしたばかりでなく、それ以降、後進が相次いでよくその武力を維持し世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く国益を守り、国威を伸張することができたのである。

考えるに、このような古今東西のいましめは、政治のあり方にもよるけれども、そもそもは武人が平和なときにあっても、戦いを忘れないで備えを固くしているかどうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである。

われ等戦後の軍人は深くこれらの実例を省察し、これまでの練磨のうえに戦時の体験を加え、さらに将来の進歩を図って時勢の発展におくれないように努めなければならない。そして常に聖論を奉体して、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、時節の到来を待つならば、おそらく永遠に護国の大任を全うすることができるであろう。神は平素ひたすら鍛練に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまうであろう。

昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ」と。

明治三十八年十二月二十一日

連合艦隊司令長官 東郷平八郎

時のアメリカ合衆国大統領セオドア・ローズベルトは、この文章に感銘を受け、アメリカ軍の将兵たちに配布して読ませたといいます。

完全勝利に一切慢心することなく、軍隊の意味を「形而上の存在ではない」と言い切った真之。大切なのは兵器や人の数ではなく、それを運用する人の練度や、平時からの準備といったことであると訴えています。

その姿勢は、「人は城、人は石垣」という名言を残した最強の戦国武将、武田信玄の言葉にも通じるところがありますね。

そして平時から、慢心することなく有事に備えて常に自分を磨き続けるという姿勢は、今を生きる私たちが見習うべき点ではないかと私は思います。

「三笠」の画像検索結果

記念艦として横須賀の地に今も残る、戦艦「三笠」

終わりに

真之は、最終的に海軍中将まで昇進し、51歳の若さでこの世を去ります。

日本近代史に残る名文を輩出し続けてきた真之でしたが、その文章力は突然湧いて出てきたわけではありません。

真之は、日頃から、古今東西のあらゆる書物や名文に目を通し、生涯それらを記録して蓄え続けていたといいます。

――簡潔に物事を伝え、人の心を動かす文章を書く力。

我々現代人も、ぜひ身に着けておきたい能力ではありますが、その能力は努力なしでは身につかないようです。

ブログや小説を書いていてもそうですが、自分の知らない表現が、いきなり自分から湧き出してくることは普通ありえません。

日頃から様々な本を読み、いろいろな表現に触れることが、文章センスを磨く一番の近道なのではないのでしょうか。

スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

-オーナー記事

Copyright© TOKYO STORY , 2019 All Rights Reserved.