はじめに
"TOKYO STORY"のオーナー、精神科医の974と申します。
今回は、私が精神科医として働き始めて、色々と印象に残ったことをエッセイ形式にしてみようと思い、記事を書いてみました。
今回は記念すべき第1回として、私が精神科医になる前、研修医だった時のエピソードを紹介してみようと思います。
どうかお付き合いください。
夜の電話対応
私が研修医だった時の話です。
ローテーションの一環として、1ヶ月間、ある大学病院で精神科を研修することになりました。
この頃は、精神科に入局すると決めたわけでもなく、どんなものか体験をするためにローテーションに組み入れたような感じでした。
ローテート期間中は、日勤の業務の他にも何日か当直シフトが割り当てられており、研修医は病棟対応や外来患者さんからの電話対応などを上級医と相談しつつ行うことになっていました。
この電話対応は、色々とクセのある業務で、夜中の3時に
「ねぇ・・・先生、寂しくていてもたっても居られないよ〜助けて〜」
「〇〇マンションの△△号室より電磁波で攻撃されている!警察を呼んでその装置を破壊しなければ!」
なんていう電話がかかってきます。
基本的に電話でのお話なので、傾聴をして気持ちを鎮めてもらうほかはないのですが・・・。
希死念慮を訴える女性
そんなある夜の当直業務の最中、うつ病を拗らせてしまった中年女性の患者さん(毎日電話をかけてくることで名物だった)から電話が掛かってきました。
それも、夜1時くらいの話です。
「ねぇ、死にたいです・・・」
「そうなんですね。どうしてですか(眠いなぁ)」
「だって・・・(中略)・・・」
「辛かったですね・・・」
生きる意味とは?
そんな中、彼女の口からある言葉が発せられました。
「私って、生きてる意味ありますか?なんのために生きてるんですか?」
色々と言葉を尽くして彼女をなだめていた私でしたが、その言葉に一瞬フリーズしてしまったのです。
「いやいや、そんなこと言わないでください。〇〇さんは・・・」なんていう風にうまく慰めることはできたかもしれません。
でも、私は彼女が発した
「生きてる意味って何?」
という根源的、哲学的な問いに、眠気が吹っ飛び、完全にフリーズしてしまったのです。
「そういえば、生きる意味って何なんだろう・・・」
彼女がそういうことを口にしたのは、抑うつ・希死念慮から「生きる価値なんてない」と思ったからだとは思いますが、いざ「生きる意味とは?」と聞かれると、僕もとっさに答えることができませんでした。
どう答えるべきだったか
「生きてる意味って何ですか」と聞かれた時、その答え方は医師によっても様々でしょう。
そして、その答えには正解はないように思えます。
もちろん、何かしらの返答をして、「生きる価値がないので死ぬ」という結論に至らないようにしてもらう必要があるのですが・・・。
その内容は、その医師一人一人の人生観や価値観が問われることになるのではないでしょうか。
「なぜ生きるか?」その答えは、十人十色です。
「大切な家族を守るため」「大好きな車を愛でるため」「仕事終わりのビールを楽しむため」
「私が死んだら、1人でも悲しむ人がいるから生きるんだ」
何でもあるでしょう。
「生きているのは人間が生命体だからで、そこには意味も何もない」
「そこに命があるから生きるだけだ」
というのも一つの答えでしょう。
夜の1時、電話対応の中の何気ない言葉だったにも関わらず、私は深く考えこんでしまいました。
結局、どのように対応して電話を終えたかは忘れてしまいましたが、「生きる意味」を問われた深夜1時の電話対応は深く印象に残りましたし、
「面白い科だな」と思ったのを覚えています。
精神科医療の面白さ
医療は「サイエンス」の一面が強く、治療内容も科学的根拠によってミッチリ決められているところが多く、医師自身の「人生経験」なんてもので治療を決めることは基本的にありません。
そんな中でも、精神科診療においては、患者さんにかける言葉一つ一つに「医師本人の哲学、人生観が求められる」というところは、とても面白いところであり、やりがいの一つであると思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。