TOKYO STORY開設のきっかけ
「自分の手で何かを作る」コトへの憧れ
当サイトの運営者である私は、「自分で考え、自分の手で何かを作る」ことをモットーにしています。
もとより私は、文章が上手だったわけでもなく、芸術的才能があったわけでもなく、何かを作り出すのが得意なわけではありませんでした。
学校の感想文や夏休みの自由課題では、ゴミのような駄文や断末魔のような絵を描いて提出する始末。
もちろん、表彰されたり賞を貰ったりすることもありませんでした。
しかし、中学生の時に出会ったある友人に刺激を受け、「自分の手でクリエイトする」ということに憧れを覚えます。
今では、日本でトップクラスの大学で研究を続けるその友人。
彼はペンを取れば見惚れるような絵を描き、パソコンとレゴを駆使してアニメーションを作り出すなど、天才的な才能を発揮。
私はそんな彼の姿を見て、「クリエイティブに生きる」ということを目の当たりにしました。
様々なことに挑戦するも……。
そんな彼から「クリエイティブさ」というものを学んだ私は、有り余る時間を使って様々なことに挑戦します。
カメラを手に、美しい瞬間を切り取ってみようとしたり。
文筆を取り、自分の描いた世界観を、物語として書き出してみたり。
パソコンに向かい、イラストやグラフィックをかじってみたり。
Webデザインを学び、ブログやクラブ活動のHPなど、様々なWebサイトの作成にも挑戦してみたり。
そのお陰もあってか、私は「クリエイティブ」なことには死角がないくらい、あらゆることに挑戦することが出来ました。
しかし、いろんな事に手を出したはいいものの、どれも中途半端。
サイト作成を学んでも、自分で1からコードが書けるわけでもなく。
小説を書こうとしても、完結する前に嫌気がさして辞めてしまったり。
どれもかじっただけで、何一つモノにすることが出来ませんでした。
その後も、中途半端のまま
受験に追われていた高校時代が過ぎて、大学に入学した私。
「大学生なら、きっと時間があるだろう」
そう思っていた私は、きっと「中途半端」だった自分の創造性を「形」として昇華させることが出来るはず。そう思っていました。
しかし、結果は変わりません。部活動や勉強に追われ、医学生としての時間はあっという間に過ぎて行きました。
小説を書こうとしてもやはりモノにならず、写真で大きな賞を取れたわけでもなく。
「自分はすべて中途半端で、三日坊主で、結局何もできないんだ」
そんな劣等感に苛まれていました。
生活を「デザインする」。
そんなある日。私は東京で1人暮らしを始めることになりました。
新しい生活を始めるとなれば、やることは様々。
家電や家具を買い、生活に必要なモノを買い集め、自分で料理を作り……。
以前までのように親に頼り、ぼんやりと生きているわけにはいきません。
自分で生活を「デザイン」しなければならないのです。
暮らしやすいインテリアを考えたり、便利なモノを探し集めているうちに、私はあることに気づきます。
それは、
『何かを「クリエイト」するということは、必ずしも絵をかいたり、文章を書いたりすることだけではない』
ということでした。
朝ご飯を作るのも、1日の予定を立てるのも。生きていることは、すなわち「作り出すことの連続」だということです。
言ってみれば、社会に新しいサービスをもたらすビジネスの創造だって、「クリエイトする」努力からできたもの。
私たちが普段利用するデバイスやお店、建物、会社だって、すべて誰かの手によって「創造」されたものです。
そう気づいてから、私の考える「クリエイティブさ」とは、絵や文章などの単なる「芸術的創造」の枠を超えて、あらゆる事の根底にあるものだと考えるようになりました。
友人の言葉でサイト開設を決意
そんな中、生活の大部分を占めていた部活動や実習などが終わり、6年間の大学生活は最終局面を迎えます。
――このままでは、結局何も作り出せずに終わってしまう。
私は前述した友人に、相談を持ち掛けます。
「色々なことに手を出したが、結局どれも形になっていない」
すると彼から帰ってきた答えは、「大きな形にこだわる必要はない。たとえ1ページの短編だろうと、作品は作品だ」という答えでした。
その言葉に、私は、当サイトの元となるアイデアを思いつきます。
『1ページごと、記事を追加していくブログであれば、その記事一つ一つが「作品」として形になる』
そしてそのサイトには、自分が培ってきた様々な分野へのクリエイティブさを散りばめよう。
そうして立ち上げたのが、このサイト。
文章や写真、Web製作や暮らしのデザインなど、これまで自分が挑戦してきた様々な分野を活かすプラットフォームとして、
大学6年間の集大成、いわば「卒業制作」として立ち上げたのが、「TOKYO STORY」です。