2020年朝ドラ「エール」
2020年のNHK朝の連続テレビ小説「エール」。窪田正孝主演、ヒロインに二階堂ふみを配役したこのドラマは、昭和史に残る数々の名曲を手掛けた古関裕而さんとその妻をモデルにした夫婦の物語です。
2020年5月には視聴率20%超えを記録するなど、人気を集めている朝ドラ「エール」。しかし、主役のモデルとなった古関裕而さんについては、「よく知らなかった」という人も多いのではないかと思います。
古関裕而氏とは
古関裕而さんについて簡単に紹介してみましょう。
1909年に福島で生まれた古関氏は、1929年にロンドンの作曲コンクールに応募し入賞。それを機に一躍注目を集め、コロンビア社の専属作曲家になるなど、作曲家としてのキャリアを歩んでいきます。
格調高い行進曲などの作曲が得意で、早稲田大学の第一応援歌「紺碧の空」や阪神・巨人の応援歌「六甲おろし」「闘魂こめて」、「東京オリンピックマーチ」など、人々を勇気付けるような数々の名曲を作曲していきます。
1989年に亡くなるまで、多くの名曲を世に送り出し続けた古関氏。その詳しい生涯についてはドラマをご覧いただくことにして、この記事では、古関裕而氏が作曲した名曲の数々を厳選して紹介しようと思います。
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古関裕而の名曲
阪神タイガース応援歌 六甲おろし
まずはこの曲から。野球好きでなくても、誰もが耳にしたことがあるこの曲「六甲おろし」。阪神タイガースの応援歌として親しまれてきたこの曲は、古関裕而の代表曲。
あまりに有名すぎるこの曲は、すでに野球チームの応援歌という枠を超えています。六甲おろしとは、関西人にとって「人生の応援歌」です。
読売巨人軍 闘魂こめて
阪神タイガースと並んで、長い歴史をもつ伝統のプロ野球団といえば、読売ジャイアンツ。「伝統の巨人阪神戦」と言われるほど、阪神タイガースとのライバル関係が深い巨人軍ですが、その応援歌も古関裕而が作曲しているんです。
その名も「闘魂こめて」。こちらも、巨人ファンに限らず知名度の高い応援歌ですね。
巨人と阪神という宿敵同士の球団歌を、同じ人が作曲しているというのは、とても驚くべきことだと思います。
栄冠は君に輝く
巨人、阪神と続いて、再び野球の歌です。この曲も、日本国民であれば一度は聞いたことがある曲でしょう。
毎年、甲子園球場で行われる高校野球大会。そのテーマソングとして燦然と輝く「栄冠は君に輝く」は、古関裕而が作曲しています。
巨人、阪神、甲子園。古関裕而さんの作品なしに、日本の野球文化を語ることはできないほど、古関裕而の作品は今も名曲として人々に愛されています。
スポーツショー行進曲
タイトルだけ聞くと、「知らない」という人が多いかもしれません。でもこの曲は、テレビをみたことがあるなら誰もが聞いたことがあるはず。
NHKのスポーツ中継が始まる際、必ず流れる曲です。
どうでしょうか。聞いたことがありましたか?
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早稲田大学第一応援歌 紺碧の空
日本の野球文化といえば、外せないのが東京六大学野球の「早慶戦」。その歴史はプロ野球よりも長く、日本における野球リーグの先駆けとされています。
そんな早慶戦で、早稲田大学の学生たちに愛唱されているのが「紺碧の空」。早稲田大学の学生なら誰もが知っていて、ありとあらゆる場面で歌われる伝統の曲。早稲田大学野球部の躍進のきっかけを作り、古関裕而の評判を日本中に知らしめた曲でもあります。
慶應義塾大学応援歌 我ぞ覇者
早稲田のライバルといえば、言わずと知れた慶應義塾。
実は巨人阪神のみならず、早稲田と慶應の応援歌も古関裕而が作曲しているんです。慶應義塾の応援歌「我ぞ覇者」は、古関裕而が昭和21年に作曲した曲。毎年春・秋に行われる早慶戦では、早稲田の「紺碧の空」とともに神宮球場の空にひびきます。
早稲田・慶應の両校のカレッジソングを作曲した古関。1989年に古関裕而が亡くなった際、葬送の際には早稲田・慶應の両校の学生たちが校旗を掲げ、敬意をあらわしたというエピソードもあります。
東京オリンピック・マーチ
2020年に開催予定だった東京オリンピック。コロナウイルス感染拡大の影響で延期にこそなりましたが、日本中で開催が楽しみにされていますね。
実は、1964年に行われた東京オリンピックでは、古関裕而氏がテーマ曲の作曲を任されました。その名も「東京オリンピック・マーチ」。その壮大な行進曲は、オリンピックの開催とともに世界中に響き渡り、古関氏は高い評価を受けました。
2021年のオリンピックでも、この曲が流れてほしいと密かに期待しています。
イヨマンテの夜
アイヌの祭りをテーマに作られた「イヨマンテの夜」。昭和の伝説的歌手、伊藤久男が歌うこの曲は、古関裕而が1949年に作った曲です。昭和を代表する歌謡曲として有名なこの曲は、今でも名曲として歌い継がれています。
若鷲の歌
古関氏は戦後、明るい行進曲を数多く作曲しましたが、実は戦時中は戦意を高揚させる軍歌なども手掛けていました。その代表とも言えるのが、「若鷲の歌」。当時若者たちの憧れだった、海軍飛行予科練習生をテーマに作曲されたこの曲。明るいメロディと歌詞は、当時の少年たちの心をつかみました。「若い血潮の 予科練の〜 七つボタンは 桜に錨〜」というフレーズは、あまりに有名です。
露営の歌
1937年の日中戦争の勃発に当たって、古関が作曲を依頼された「露営の歌」。「勝ってくるぞと勇ましく〜」というキャッチーなメロディとフレーズは、一躍日本中で大人気となりました。
歌謡曲だけでなく、数々の軍歌を作曲した古関。しかし戦後、多くの若者を戦地へ駆り立てるような曲を作ったことについて、古関は自責の念を感じていたともいいます。しかし、軍歌・歌謡曲に関係なく、古関裕而の名曲はどれも耳に残るメロディーのものばかりです。
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高原列車は行く
うって変わって、明るいメロディーのこの曲。福島県の高原を走る列車をモチーフに作曲された「高原列車は行く」は、戦後に作曲された古関の代表作です。
思わず手拍子をしたくなるような朗らかなメロディーのこの曲は、岡本敦郎が歌い、一躍戦後を代表するヒット曲となりました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。スポーツの応援曲、軍歌、戦後の歌謡曲など、人々を勇気付ける数々の名曲を残した昭和の天才作曲家、古関裕而氏。
その曲はどれも聞くと元気が漲ってくるようなものばかりで、多くの人々に愛された理由がわかります。
朝ドラのタイトルである「エール」という言葉は、まさに古関裕而の人生そのもの。その作品は、本人が亡くなった今も、歴史に残る名曲として多くの人を勇気づけ続けています。
今後のドラマの展開が楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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