エール第8週「紺碧の空」
大好評放送中の2020年朝ドラ「エール」。コロナウイルスの影響で6月末からの放送中断がアナウンスされましたが、いよいよ8週目に入ろうとしています。
第8週のテーマは「紺碧の空」。主人公・裕一のモデルは、昭和の作曲家、古関裕而氏がモデルですが、「紺碧の空」は古関氏の代表的作品です。
早稲田大学の第一応援歌として、非常に有名な「紺碧の空」。果たしてどんな曲で、どんな経緯で作曲されたのでしょうか。
事前に知っておけば、ドラマもきっと楽しくなるはずです。
「紺碧の空」って?
まずは、早稲田大学応援部による振り付けと演奏を聞いてみましょう。
いかがでしたでしょうか。応援部のキレのある動きが似合う、血湧き肉躍るような曲調になっています。
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誕生エピソード
「応援歌~稲魂のエール」には、第一応援歌「紺碧の空」誕生のエピソードが紹介されています。その内容を抜粋して紹介してみましょう。
昭和初頭。今のようにプロ野球リーグが存在しなかった時代。日本の野球といえば、大学野球でした。特に、日本で最古の野球リーグである東京六大学野球リーグは今のプロ野球並みの人気を集めていました。
その中でもライバル同士の早慶戦は、圧倒的な人気を集める花形イベント。その勝負に、人々は熱狂していました。
紺碧の空が生まれた昭和2年、3年には早慶戦を慶応が全勝。4年の3勝3敗をはさんで、5年も慶応が春秋4連勝という一方的な記録を打ち立てていました。昭和2年に発表された慶應義塾の応援歌「若き血」が一世を風靡しており、野球部の連勝と相まって慶應は沸きに沸いていました。
一方、ライバルの後塵を拝していた早稲田の学内は意気消沈。早稲田にも、あの「若き血」のようなポピュラーな応援歌が必要だという意見が生まれ、応援部は学内で歌詞を募ります。
そんな中、選出されたのが住治男氏の「紺碧の空」。その作曲者として、日本コロンビア専属作曲だった古関裕而氏に白羽の矢がたてられます。当時、まだ21歳。まだ無名だった古関は、この大チャンスに全てを捧げて作曲に打ち込みます。
そしていよいよ誕生。来たるべき早慶戦に向けて、古関の直々の指導の下、応援部の連日の特訓が繰り返されました。
昭和6年春、ついに早慶戦でデビューした「紺碧の空」は、野球部と応援席に勇気と力を与え、早稲田に勝利をもたらします。第六応援歌だった「紺碧の空」は正式に第一応援歌となり、古関はこれを機に人気作曲家としての階段を駆け上っていきます。
つまり「紺碧の空」は、古関裕而の出世作なのです。
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紺碧の空の位置づけ
早稲田大学の第一応援歌として不動の人気を誇る「紺碧の空」。この曲は、作曲から一世紀近く経った今でも多くの人に親しまれています。
早稲田大学の学生なら誰もが歌える「紺碧の空」。早慶戦などのスポーツの応援ではもちろん、卒業式や学祭、飲み会など、ありとあらゆる場面で学生たちに歌われています。
下の動画はサッカー早慶戦後の大合唱。お互いを知らない学生同士も肩を組み、歌い上げます。
(筆者撮影)
歳月の枠を超え、多くの人に愛される名曲を作り出した古関裕而さん。本人はすでに亡くなっていしまっていますが、そんなシーンを天国から見て喜んでいる気がします。
ライバル「慶應」は?
さて、「紺碧の空」誕生のきっかけになった「若き血」とは、どのような曲なのでしょうか?
慶應が誇る第一応援歌「若き血」もこちらに紹介しておきます。
いかがでしたでしょうか。早稲田と並び立つ私学の雄、慶應に相応しい勇壮な応援歌。私は早稲田のファンですが、反対側のスタンドからこの曲が流れてくる時はその格好良さにため息をついてしまいます。
また、余談ですが、裕一のモデルとなった古関裕而氏は、早稲田だけではなく慶應の応援歌も作曲しているのをご存知でしたか?
その名も応援歌「我ぞ覇者」。古関氏らしい、格調高い曲調の応援歌は、今も毎年神宮球場で歌い継がれています。
「早稲田」と「慶應」。強力なライバル同士の二校のカレッジソングを作曲した古関裕而。古関氏は他にも、永遠のライバルである「読売巨人軍」や「阪神タイガース」の応援歌なども作曲しています。
日本のスポーツ応援を語るにあたり、欠かすことのできない古関裕而の応援歌たち。古関氏の作品に興味を持たれた方は、こちらの記事もぜひチェックしてみてくださいね。
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