絶体絶命のピンチ
前回記事では、後がない状況で面接に臨んだこと、本番のスピーチでアイデアが思いつかず、ピンチに陥ったことを書きました。
スピーチには、自分の主張を支持する、メインとなる考えや根拠が必要です。
「日本は野菜の輸入に頼りすぎるべきでない」という2分のスピーチを持たせるためには、大体目安として、2つは根拠が必要です。
一つ目の根拠は、「輸入野菜の安全性」という点。
中国の「ダンボール肉まん」や「毒入り餃子」など、輸入した食べ物の安全性が不安視されていた時代でした。
「輸入した野菜に頼ることは、日本の食の安全を脅かすのではないか」
それが私の思いついた、一つ目の主張でした。
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しかしもう一つの主張が、なかなか思い浮かびません。
スピーチも無情にも中盤にさしかかり、いよいよ2つ目の根拠を述べるタイミングがやってきます。
けれども回転する頭の中では、アイデアは思い浮かびません。まさに絶体絶命。
「1級の夢も潰えたか……」
そう思ったその時でした。
突然、大きな揺れが試験会場を襲ったのです。
祈りが届いた?
会場を襲った揺れ。それは、震度4はあろうかという強い地震でした。
大きな揺れに、ふたりの面接官の顔に狼狽の色が浮かびます。
ガタガタと揺れる机を押さえ、様子を見守る女性面接官。
みっともないほどに取り乱し、「ママぁ!」とひたすら連呼するイギリス人面接官。
(しねえよ)
揺れに合わせ、狂ったように腰を振り始めた試験スタッフ。
(しねえよ)
もはや試験どころではありません。
(それは本当です)
冗談はさておき、震度4の揺れの中で、平然とスピーチを続けるわけにはいきません。
男性面接官は試験を一旦中断させ、揺れが収まるのを待ちました。
まさに想定外の事態です。
しかし、動揺する試験官たちとは裏腹に、私は1人、ニヤリとほくそ笑んでいました。
揺れが続く中で私の頭脳は回転し、主張の根拠となるべきアイデアを探し続けていたのです。
そしてその瞬間は、「天啓」のように突如として私に訪れました。
またとない絶好のアイデアを思い付いたのです。
「地震」をネタにスピーチを展開
実は私が試験を受けたのは、東日本大震災が日本を襲ったその年。
テレビ画面に映る破壊された町、押し寄せる津波。
そんな映像や、毎日鳴り響く地震速報のけたたましさは、あまりにも印象的でした。
「安全で当たり前」と確信されていた日本の原発が制御を失い、危機に陥った福島の事故。
電力供給が不足し、信号の光さえも消えた夜。
そんな一連の出来事は、私たちが安穏と漬かっていた「当たり前」というぬるま湯を、根底からひっくり返す出来事でした。
おそらくは震災の余震だったのでしょうか。試験場を襲った強い揺れを身で感じた瞬間、私にはあるアイデアが舞い降りたのです。
「もしそんな出来事が、野菜の供給にも起きてしまったら……」
考えてみてください。
アメリカのポテト畑がちょっと不作だっただけで、ポテトチップスがコンビニから消え、マックからフライドポテトが消えてしまう現代の日本。
もし「当たり前のように」輸入に頼っていた作物が、その国の都合によって「当たり前」でなくなったら――。
ポテトが無くなるくらいならまだしも、それがあらゆる野菜や作物に起きてしまったら。それはあまりに恐ろしい事態です。
「食べ物」という命綱を、安穏と他国からの輸入に頼っていることの潜在的危険。
私はそれを根拠として、スピーチの次のボディを組み立てることにしました。
スピーチ再開
揺れに襲われて30秒後。ようやく、地震が収まりました。
「大丈夫ですか?」と優しく私に気を使ってくれる試験官たち。
「大丈夫です」
大丈夫どころか、何とラッキーな事でしょうか。私はにやけたい気持ちを抑え、神妙に頷きます。
タイマーが開始し、口を開いた私は、「野菜を輸入に頼ることは、国家にとって大きな潜在的リスクになる」というトピックセンテンスを提示し、スピーチを展開します。
「震災の前、まさか原発が爆発するとはだれも予想しませんでした。けれども、実際にそれは起こり、日本人は電力不足や、放射線の危険に晒されました」
――それと同じように、当たり前のように野菜を輸入に頼り続ければ、「想定外の出来事」が起きた時、日本はどんな目に遭うか。
「だからこそ、たとえ輸入野菜がいくら安価でありふれていても、それに過剰に甘んじるべきではない」という主張。
それは例示を用いて論理を展開する、まさに定石通りの構成でした。
さらにスピーチの結末。
「でも一番想定外だったのは、面接中にこんな揺れが来ることでした」
「我々もですよ。アハハ」
地震をネタにジョークまで折り込み、試験官の笑いを取ることまで成功します。
「これは行ける」と確信させるような、流れるようなスピーチ。
本当に自分なのか。2回もスピーチでしくじり、不合格になった自分が喋っているのか。にわかに、信じがたいほどでした。
(※当社比)
とにかくも、奇跡的なタイミングで襲った地震によって、私は絶体絶命のピンチを凌ぎ、予想もしなかった出来で形成逆転に持ち込んだのです。
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祈りが届いた?
試験後、私はあることに気づきます。
それは、試験前、緊張の中で祈り続けた、あの肖像。
そう、教室に飾られていた、イエス・キリストの肖像でした。(前話参照)
試験中、奇跡的なタイミングで地震が訪れ、期待以上の実力を発揮できたのも、もしかしたら。
「イエス様が私を救ってくれた」
そうとしか思えないくらい、あまりにも奇跡的な展開でした。
私は達成感に満ち溢れた気分で、山手を意気揚々と後にします。
そして……
スピーチの出来が、すべてでした。
数週間後。
迷うこともなく、表示した2次試験の結果には、「合格」の2文字が踊っていました。
それは、およそ1年にわたる無謀な挑戦が、終わりを告げた瞬間でした。
右も左も分からず、5級を受験してから3年。
未修事項に戸惑いながらも、なんとか合格をもぎ取った3級。
語彙力を武器に、合格を重ねた2級、準1級。
そして圧倒的な壁を見せつけられ、3回もの不合格の末にようやく勝ち取った1級。
長かった道のりに思いを馳せていると、お世話になった人たちの顔が次々と浮かんできます。
受験を諦めていた私に、黙って単語帳を買ってきてくれた塾の先生。
壁にぶつかっていた私に、実戦練習という素晴らしい策を教えてくれた高校の先生。
特訓に付き合ってもらい、夕暮れの教室で、何度も唇を重ねたネイティブのお兄さん先生。(だからゲイじゃねえよ)
数々の思い出や悔しさが去来する中、私は表情一つ変えず、合格通知を眺めていました。
(そこは泣いとけよ)
2011年の夏。こうしてついに、私の1級取得の旅は幕を閉じたのでした。
お読みいただきありがとうございました。
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