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【英語学習法】非帰国子女の高校生が独学で英検1級を取得した話〈第11回 震度4 〉

絶体絶命のピンチ

前回記事では、後がない状況で面接に臨んだこと、本番のスピーチでアイデアが思いつかず、ピンチに陥ったことを書きました。

スピーチには、自分の主張を支持する、メインとなる考えや根拠が必要です。

「日本は野菜の輸入に頼りすぎるべきでない」という2分のスピーチを持たせるためには、大体目安として、2つは根拠が必要です。

一つ目の根拠は、「輸入野菜の安全性」という点。

中国の「ダンボール肉まん」や「毒入り餃子」など、輸入した食べ物の安全性が不安視されていた時代でした。

「輸入した野菜に頼ることは、日本の食の安全を脅かすのではないか」

それが私の思いついた、一つ目の主張でした。

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しかしもう一つの主張が、なかなか思い浮かびません。

スピーチも無情にも中盤にさしかかり、いよいよ2つ目の根拠を述べるタイミングがやってきます。

けれども回転する頭の中では、アイデアは思い浮かびません。まさに絶体絶命。

「1級の夢も潰えたか……」

そう思ったその時でした。

突然、大きな揺れが試験会場を襲ったのです。

祈りが届いた?

会場を襲った揺れ。それは、震度4はあろうかという強い地震でした。

大きな揺れに、ふたりの面接官の顔に狼狽の色が浮かびます。

ガタガタと揺れる机を押さえ、様子を見守る女性面接官。

みっともないほどに取り乱し、「ママぁ!」とひたすら連呼するイギリス人面接官。

(しねえよ)

揺れに合わせ、狂ったように腰を振り始めた試験スタッフ。

(しねえよ)

もはや試験どころではありません。

(それは本当です)

 

冗談はさておき、震度4の揺れの中で、平然とスピーチを続けるわけにはいきません。

男性面接官は試験を一旦中断させ、揺れが収まるのを待ちました。

まさに想定外の事態です。

 

しかし、動揺する試験官たちとは裏腹に、私は1人、ニヤリとほくそ笑んでいました。

揺れが続く中で私の頭脳は回転し、主張の根拠となるべきアイデアを探し続けていたのです。

そしてその瞬間は、「天啓」のように突如として私に訪れました。

またとない絶好のアイデアを思い付いたのです。

「地震」をネタにスピーチを展開

実は私が試験を受けたのは、東日本大震災が日本を襲ったその年。

テレビ画面に映る破壊された町、押し寄せる津波。

そんな映像や、毎日鳴り響く地震速報のけたたましさは、あまりにも印象的でした。

「安全で当たり前」と確信されていた日本の原発が制御を失い、危機に陥った福島の事故。

電力供給が不足し、信号の光さえも消えた夜。

そんな一連の出来事は、私たちが安穏と漬かっていた「当たり前」というぬるま湯を、根底からひっくり返す出来事でした。

おそらくは震災の余震だったのでしょうか。試験場を襲った強い揺れを身で感じた瞬間、私にはあるアイデアが舞い降りたのです。

「もしそんな出来事が、野菜の供給にも起きてしまったら……」

考えてみてください。

アメリカのポテト畑がちょっと不作だっただけで、ポテトチップスがコンビニから消え、マックからフライドポテトが消えてしまう現代の日本。

もし「当たり前のように」輸入に頼っていた作物が、その国の都合によって「当たり前」でなくなったら――。

ポテトが無くなるくらいならまだしも、それがあらゆる野菜や作物に起きてしまったら。それはあまりに恐ろしい事態です。

「食べ物」という命綱を、安穏と他国からの輸入に頼っていることの潜在的危険。

私はそれを根拠として、スピーチの次のボディを組み立てることにしました。

スピーチ再開

揺れに襲われて30秒後。ようやく、地震が収まりました。

「大丈夫ですか?」と優しく私に気を使ってくれる試験官たち。

「大丈夫です」

大丈夫どころか、何とラッキーな事でしょうか。私はにやけたい気持ちを抑え、神妙に頷きます。

タイマーが開始し、口を開いた私は、「野菜を輸入に頼ることは、国家にとって大きな潜在的リスクになる」というトピックセンテンスを提示し、スピーチを展開します。

「震災の前、まさか原発が爆発するとはだれも予想しませんでした。けれども、実際にそれは起こり、日本人は電力不足や、放射線の危険に晒されました」

――それと同じように、当たり前のように野菜を輸入に頼り続ければ、「想定外の出来事」が起きた時、日本はどんな目に遭うか。

「だからこそ、たとえ輸入野菜がいくら安価でありふれていても、それに過剰に甘んじるべきではない」という主張。

それは例示を用いて論理を展開する、まさに定石通りの構成でした。

さらにスピーチの結末。

「でも一番想定外だったのは、面接中にこんな揺れが来ることでした」

「我々もですよ。アハハ」

地震をネタにジョークまで折り込み、試験官の笑いを取ることまで成功します。

「これは行ける」と確信させるような、流れるようなスピーチ。

本当に自分なのか。2回もスピーチでしくじり、不合格になった自分が喋っているのか。にわかに、信じがたいほどでした。

(※当社比)

とにかくも、奇跡的なタイミングで襲った地震によって、私は絶体絶命のピンチを凌ぎ、予想もしなかった出来で形成逆転に持ち込んだのです。

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祈りが届いた?

試験後、私はあることに気づきます。

それは、試験前、緊張の中で祈り続けた、あの肖像。

そう、教室に飾られていた、イエス・キリストの肖像でした。(前話参照)

試験中、奇跡的なタイミングで地震が訪れ、期待以上の実力を発揮できたのも、もしかしたら。

「イエス様が私を救ってくれた」

そうとしか思えないくらい、あまりにも奇跡的な展開でした。

私は達成感に満ち溢れた気分で、山手を意気揚々と後にします。

そして……

スピーチの出来が、すべてでした。

 

数週間後。

迷うこともなく、表示した2次試験の結果には、「合格」の2文字が踊っていました。

それは、およそ1年にわたる無謀な挑戦が、終わりを告げた瞬間でした。

右も左も分からず、5級を受験してから3年。

未修事項に戸惑いながらも、なんとか合格をもぎ取った3級。

語彙力を武器に、合格を重ねた2級、準1級。

そして圧倒的な壁を見せつけられ、3回もの不合格の末にようやく勝ち取った1級。

長かった道のりに思いを馳せていると、お世話になった人たちの顔が次々と浮かんできます。

 

受験を諦めていた私に、黙って単語帳を買ってきてくれた塾の先生。

壁にぶつかっていた私に、実戦練習という素晴らしい策を教えてくれた高校の先生。

特訓に付き合ってもらい、夕暮れの教室で、何度も唇を重ねたネイティブのお兄さん先生。(だからゲイじゃねえよ)

 

数々の思い出や悔しさが去来する中、私は表情一つ変えず、合格通知を眺めていました。

(そこは泣いとけよ)

 

2011年の夏。こうしてついに、私の1級取得の旅は幕を閉じたのでした。

 

お読みいただきありがとうございました。

第12回はこちら

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Dr.974

神奈川県出身の20代精神科医。「クリエイティブに生きる」をモットーに、サイト運営・小説執筆・写真など、種々の創作活動をしています。 海が好きで、休日は海沿いの温泉街に行くのが生きがい。お気に入りの町は熱海。

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