こちらの記事に続き、第7回です。
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米国で学んだこと
エッセイライティングを学ぶ
前回の記事では、アメリカに行ったことでレベルの差を痛感し、1級突破、そしてさらに上のレベルを目指す決心をしたと書きました。
しかし、何はともあれまずは1級の一次試験を突破できなければ、その先に進むことはできませんでした。
そこで私は、アメリカ滞在中のコースで、ある授業をとることにします。
それは、「アカデミック・エッセイライティング」という講義でした。
日本で「エッセイ」といったら、小説家なんかが日常を面白おかしく綴る「読み物」みたいなイメージが強いですが、どちらかというと「小論文」。
「安楽死の是非を問う」みたいに、あるトピックについて、自分の意見や主張を綴った文章のことです。
授業で学んだたったひとつの事
ライティング授業では、毎日宿題を出され、与えられたトピックについての小論文を書くように言われます。
授業を担当したのは、ギリシャ出身のヨボヨボのおじさんでした。
そんなおじさん先生が、口を酸っぱくして教えてくれたことがあります。
その教えとは、
「エッセイでは、伝えたいことはいつも一つ」
ということです。
「伝えたいこと」がエッセイの背骨
「伝えたいことはいつも一つ」という教え。つまりどういうことでしょうか。
例えば、「安楽死の是非は?」というトピックについてのエッセイを書かされるとします。
賛否が分かれる話題だけに、「どっちが正しい」と言い切るのは難しい話題。実際、答えはありません。
けれども「是非を問う」というエッセイにおいて、「安楽死をすると患者さんが楽になるかも、でも倫理的にも問題だね、どっちともいえないや~」
という文章もありですが、際限なくグダグダになるので、ここでは「安楽死に賛成」という文章を書くとします。
するとそのエッセイが伝えるべきことは、「安楽死に賛成」という意見ただ一つ。それが文章の大黒柱なのです。
エッセイの構造
パーツは3つだけ
エッセイには、あるお決まりの構造があります。
それは、文章の最初にくる「Introduction」、議論と主張を行う「Body」、そして「Conclusion」という大まかな三つの構造。
「イントロ」部分は、通常最初の一段落目の部分。まずトピックについて軽く説明し、読者を導入する部分。そして、大事なことはまず、ここで自分の伝えたい意見を述べることです。
「最近、安楽死が医療界で議論を呼んでいます。
死に面した患者さんの苦痛を和らげる可能性を和らげる道として注目を浴びる一方、倫理的に問題があるという意見もあり、賛否を呼んでいます。
けれども私は以下の理由から、安楽死を支持します」といったように、まずズバンと自分の意見を述べてしまうのです。
主題が凝縮されたこの最後の一文を、「thesis statement」といいます。
すると、あとに続くメインの部分は、すべてそれを支持するための言い分。
通常の数百~1000ワード程度のエッセイでは、「body」は3段落くらい。
でもその存在意義は、「安楽死を支持する」という自分の意見を語るためにあります。
たとえばボディの一段落目で、「安楽死は、患者さんのQOLを高めることが出来る」と主張します。その一文を「トピックセンテンス」と呼びます。
あとはそれを補強するため、様々な説明を付け加えます。
自分の言葉で詳しく説明するのはもちろん有効ですが、すこぶる有効なのが「例示」。
たとえば『多くの末期がんの患者さんは、回復の見込みの無い中で激しい痛みに耐えなければなりません』。なんていう例を載せます。
その後に、
「安楽死を行うことが出来れば、こうした回復の見込みの無い死の直前にある患者さんの最期を、苦痛なく終わらせることができます。」
と説明を付け加えると、主張に説得力が生まれます。
こうした感じで、最初の「トピックセンテンス」を補強するための「言い分」で、文章を作っていくわけです。
そんな「body」を数段落書いた後にくるのが、「結論」。
これも簡単に言えば、「イントロ」と同じ。「thesis statement」と同じ「自分の伝えたいこと=結論」を簡潔に述べます。
「上で述べた3つの理由から、私は安楽死に賛成です。倫理的な課題もまだまだありますが、それを解決していくことによって、より良い医療を目指せと思っています」といった感じで、エッセイを締めるのです。
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結局「伝えたいことは1つ」
エッセイの構造と、構成するパーツについて説明しましたが、ある一つのことに気づいたです。
それは「エッセイには、必ず1本の背骨がある」ということ。
エッセイ全体で「安楽死に賛成」という主張が通っていることは書きました。けれども、一つ一つの段落を見てみても、その構造は同じ。
「body」の段落一つ一つの中にも、核となる「トピックセンテンス」があり、それを中心に文章が展開されているのです。
簡単に言えば、人体の構造と似ています。
身体を貫く一本の背骨が「エッセイの主張」。そこから出た手や足の骨が「トピックセンテンス」。その周りを説明や例示が肉付けして、一つのエッセイが完成するのです。
でも、結局中軸となるのは「背骨」。その一本の柱を中心に、エッセイは構成されていて、他のすべてはそれを支えるためのパーツなのです。
だから何?
エッセイライティングについて深く掘り下げましたが、それは、この授業が僕に大きな影響を与えたからです。
1級にはエッセイライティングがあり、その書き方の参考になったのはもちろんですが、それだけではありません。
「エッセイライティング」の基礎はすべての文章に共通するだけに、長文問題の構造も手に取るように分かるようになったのです。
というのも、先ほど述べたように「文章や段落には、それぞれ一つずつ伝えたいことがある」ことが分かったから。
一つ一つの段落や文のこなす「役割」を考えてみることで、長文問題も圧倒的に解きやすくなったのです。
凱旋
ということで、エッセイライティングや英文の構造の基本を学び、意気揚々と帰国した私。
そしてその数か月後には、1級の二次試験が待ち構えていました。
次回記事では、その勉強法について説明します。
第8回はこちら
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