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時を超えた純愛。80歳の女性が戦死した夫へ書いたラブレター「天国のあなたへ」が素敵すぎる。

この記事について

80歳のおばあちゃんが、戦死した夫に向けて綴った感動の手紙を紹介。

はじめに

あなたは、もうすでにこの世にいない人に手紙を書いたことはありますか?

1995年のバレンタインデー。「第1回日本一心のこもった恋文」コンテストに、ある作品が大賞として選ばれました。

今も東京都にある「靖国神社(遊就館)」に展示されているその手紙は、当時80歳だった秋田県の柳原タケさんが、夫に宛てたものでした。

しかしその時、タケさんの夫は、すでにこの世にいませんでした。

昭和14年、戦時下にあった日本。夫の淳之助さんは、タケさんと2歳の娘を残したまま出征し、中国で戦死してしまったのです。

この手紙コンクールを主催したのは、秋田県の二ツ井町という町。その小さな町に、「きみまち坂」という坂があります。

ここは、かつてから険しい山が切り立つ通行の難所でした。

そんな場所に、明治14年に明治天皇が東北を訪れます。その際、山の先端を切り通して緩やかな坂道や橋が架けられ、明治天皇が渡り初めをされました。


この巡幸の際、皇后陛下が歌をしたためて手紙を出し、天皇陛下の到着を待ったと言い伝えられています。このエピソードから、この場所が「きみまち坂」と名付けられました。

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天国への手紙

その言い伝えにちなみ、二ツ井町が開催した「手紙コンクール」。そのコンクールに、柳原さんは亡き夫に向けて一通の手紙を応募します。そのタイトルは、「天国のあなたへ」

天国のあなたへ  秋田県 柳原タケ

  娘を背に日の丸の小旗を振ってあなたを見送ってからもう半世紀がすぎてしまいました。

たくましいあなたの腕に抱かれたのはほんのつかの間でした。

三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは今どうしていますか。

私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。

あなたは三十二歳の青年、私は傘寿を迎えている年です。

おそばに行った時おまえはどこの人だなんて言わないでね。

よく来たと言ってあの頃のように寄り添って座らせてくださいね。

お逢いしたら娘夫婦のこと孫のことまたすぎし日のあれこれを話し思いきり甘えてみたい。

あなたは優しくそうかそうかとうなずきながら慰め、よくがんばったとほめてくださいね。

そしてそちらの「きみまち坂」につれていってもらいたい。

  春のあでやかな桜花、

  夏なまめかしい新緑、

  秋ようえんなもみじ、

  冬清らかな雪模様など、

四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。

私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ愛情を支えにして生きてまいりました。

もう一度あなたの腕に抱かれてねむりたいものです。

力いっぱい抱き締めて絶対はなさないで下さいね。

いかがでしたでしょうか。

80歳のおばあちゃんが書いた手紙とは思えない、乙女のような愛らしい気持ちが伝わってきます。

新婚で幸せの絶頂。そんな時に、タケさんは戦争によって最愛の人を失ってしまいます。

何度願っても、二度と帰ってくることはない夫。それでも、タケさんが夫を想う気持ちは変わりませんでした。

半世紀の時を超えて綴られた、純粋に愛する人を想う気持ち。「もう一度あなたと一緒に歩きたい」という、少女のようにあどけない願望。

「遊就館」で直筆のこの手紙を読んだ時、私はそんなタケさんの気持ちが伝わってきて、思わず涙しそうになりました。

コンテストに寄せられたたくさんの手紙の中で、大賞を勝ちとった手紙。それは、半世紀の時を超え、愛する人に寄せられたラブレターだったのです。

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タケさんはこの後、96歳でこの世を去りました。

きっと天国の「きみまち坂」で、旦那さんと再会を果たしたことでしょう。

この手紙に書かれている物語は、悲観的な見方をすれば「戦争によって起こった悲劇」かもしれません。けれども、彼女が綴った愛情あふれる筆跡からは、「大切な人を思う気持ちの素晴らしさ」を感じ取ることができますね。

 

 

 

 

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Dr.974

神奈川県出身の20代精神科医。「クリエイティブに生きる」をモットーに、サイト運営・小説執筆・写真など、種々の創作活動をしています。 海が好きで、休日は海沿いの温泉街に行くのが生きがい。お気に入りの町は熱海。

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